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「誰にも見られない庭」  アーチスト 日比野 克彦
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誰にも見られない庭があった。

その庭のある家は5年の間、主を持たず時間が過ぎていた。

その間、誰も手を入れることなく、誰も入ることなく、

だれも見ることもなかった。

私がその庭に立ち入った時、足が止まった。

荒れたその庭に驚いたのではない、

その庭の紅白の梅の見事な色に目を奪われたのだ。


あの梅の色はなぜあれほど鮮烈であったのだろうか・・・。

花は誘うために生まれてきたものである、

見られてこその、目立ってこその花である。

誘ってこその花の営みである。

視線を集めることで花の役割が成り立つ。

しかしこの紅白の梅は見つめられることなく過ごしてきた梅である。

だからこそ、人に見られていなかったからこそ、

その花の、その紅白の色が純粋に培養されていたのではないだろうか・・・。


庭とは現生の者が立ち入れない、もうひとつのあちら側の世界である。

しかし、この時出会った庭は、

「立ち入れない庭ではなく、立ち入らなかったから現れてきた庭」

がそこにあった。





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日比野克彦
アーティスト
1958年岐阜市生まれ、アーティスト。東京芸術大学大学院修了。1980年代に領域横断的で時代を反映した作風で注目を浴びる。作品制作のみならず、パフォーマンスといった身体を媒体にした表現を行うなど、表現手段に束縛されずに自己の可能性を追求し続けている。

1982年 第3回日本グラフィック展大賞
1983年 第30回ADC賞最高賞
1986年 シドニー・ビエンナーレ、
1995年 ヴェネチア・ビエンナーレに出品。
2005年 水戸芸術館現代美術センター(HIBINO EXPO)
2007年 金沢21世紀美術館(「ホーム→アンド←アウェー」方式)、霧島アートの森(日々の旅に出る。)、熊本市現代美術館( HIGO BY_ HIBINO)
2008年 金沢21世紀 美術館で(「ホーム→アンド←アウェー」 方式meets NODA[But-a-I])では美術館と劇場を行き来する実験的な試みを仕掛けた。
2009年 夏 東京芸術劇場に金沢で制作した[But-a-I]を移設し、美術館と劇場と街を行き来する実験的な試みを仕掛けた。7月には鹿児島・種子島にて皆既日食に合わせ2艘の「種は船」を洋上で出会わせる「時の芸術祭」を監修。「開国博Y150」(横浜)のアートプロデューサーとして「横浜FUNEプロジェクト」監修。
2010年 サッカーW杯の会場・南アフリカへたくさんの人と作り上げたMATCH FLAGを届け、ワールドカップのスタジアムでムーブメントを起こした。瀬戸内国際芸術祭では、瀬戸内の海底に焦点をあてたプロジェクト を長い期間をかけて展開する予定。舞鶴において、2012年を目標に海を移動できる「種は船」の造船も始まる。
2003年に始まり8年目を迎える「明後日朝顔プロジェクト」も全国22地域で展開し、精力的に全国を駆け回っては、受取り手の感受する力に焦点を当て、様々な地域の参加者と共同制作を行いながら社会で芸術が機能する仕組みを創出する。

作品集・著書に『HIBINO』『HIBINO2』『海の向こうに何がある』『100の指令』『日常非常日(ピジョッピジョッピ)』(朝日出版社)、『えのほん』(三起商行/ミキハウス)、『KATSUHIKO HIBINO』(小学館)、『8万文字の絵 -表現することについて-』(PHP新書)、『HIBINO LINE』(玄光社)、 『ひ ESSEY OF KATSUHIKO HIBINO』(淡交社)など。 近著として『Yesterday Today Tomorrow』(リトルモア)、 『HIBINO EXPO 2005 日比野克彦の一人万博 記録集 』(水戸芸術館現代美術センター)、『FUNE』(西日本新聞社)、 『HIBINO DNA AND・・・「日比野克彦応答せよ!!」』(岐阜県美術館)、 『日比野克彦展「日々の旅に出る。」(鹿児島県霧島アートの森)、『あしたの君へ』(新潟日報)、『日比野克彦アートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式 記録集』、『日比野克彦アートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式meets NODA[But-a-I]記録集』(金沢21世紀美術館)がある。

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第0回 参加メンバーのご紹介
本文を読むにはこちらからパスワードを入力してください。
「一人よがりとしても」  作庭家 河西 力
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何かに突き動かされるように作庭を

続けてきたように思える。 時々のそ

れは自分自身への問いかけでもあ

っただろうし、 日本の庭を少しだけ

かじった一人よがりかもしれない。

 日本の庭とは?の問いに、

  「日本人の心をもった庭です」

と、大上段に振りかぶって見ても、

降ろす刃は見えない。作庭家の仕

事は大義や道理を振りかざして伝

えていくものでもなく、 意味などな

くても、 子細でたよりなくても、 大

切なものとしてつながっている。

そんな好ましい質感が庭を通して

紡がれていく事だと今は思っている。





kasai_2.jpg
          



河西 力 (作庭家)
TSUTOMU KASAI 
1948年 山梨県生まれ 
1972年 後藤市蔵氏(三島市 作庭家)に師事
1983年 (有限会社)河西庭苑設立
作庭研究グループ「雨楽会」主宰                       
現代茶空間展、連続開催
1989年 イベント「’89 庭 白暮 」開催
-熱海アートアソシエイツ-
小笠原紀男氏に師事
1990年 「’90 庭 OGARU」展(かたち社企画)
-東京ギャラリーいそがや-  
1992年 「THE BANBOO」彫刻展
-柿田川美術館(清水町)広場にてパトリック・ドリティ氏(米)と共演-
石室プロジェクト (~1995.12)
-アタミアート山中にてプロジェクトメンバーと展開-
1993年 世界救世教ブラジル聖地建設プロジェクト (~1995.11)
-ブラジル・サンパウロ市-
1994年 「風景 心の表現」展 (ブラジル サンパウロ市)
-インスターレーションと写真パネルにて展示-
「美しい関係-彫刻とパフォーマンス」展(ブラジル・サンパウロ市) 
1995~97年 石室イベント(12月22日・冬至祭典)連続開催(~1999.12)
1996年 広島竹原市病院アートプロジェクト
-馬場直樹プロデュース ルーフガーデン担当
吉田克郎・寺田康雄 シーラフィクス、インドア担当
1997年 国際日本庭園シンポジウム(東京・早稲田)
-大地を編むインスタレーションアート-      
1997年 上越市里山庭苑塾(宇津尾)(~2001)
2001年 「風景の断面」彫刻展
-柿田川美術館前庭にて
2002年 上越市里山庭苑塾(中の俣)展開中 
2002年 世界救世教 京都平安郷聖地建設プロジェクト
2003年 イギリス オークハンプトン病院 岡田茂吉ヒーリングガーデン作庭
ブラジルグァラピランガ 自然環境モデルガーデンプロジェクト
2005年 世界救世教 ブラジル聖地建設二期計画
2006年 第2期聖地プロジェクト
2007年 第5回 国際日本庭園シンポジウム
講演及びインスタレーション設計・監修
 
 
1992年 第一回 日本庭園協会賞受賞
 
 
作品掲載図書
「かたち」誌 「婦人画報」誌 「ビオシティ」誌 
「CASA&JARDIN」誌(ブ) 「GARDEN」誌(米)
「ARQUITETURA&CONSTRUCAO」誌(ブ) 
INAX ミュージアムブック」誌
 
 
(社)日本庭園協会理事
 
 
 
有限会社 河西庭苑
代表  河西 力  
静岡県駿東郡清水町徳良1104‐22
TEL:055-931-6843
FAX:055-933-1215
E-MAIL:kasaiteien@diary.ocn.ne.jp



愛読書/  「無間関提唱」 山本玄峰老師 







 
「御挨拶」 第0回庭JAPAN編集長 川部純 

NHKのとある番組で、岡山の禅寺で欧米の人たちが、

住み込みで修業をしている映像が流れていた。

彼らは、今の自分自身を見つめ直す為、

そして、これからの自分の生き方を考えるために、

わざわざ日本の岡山に来ているのである。

その様子をテレビで見たワシは、

その辺りにいる日本人以上に、彼らが日本であるように思えた。

そして、もしかすると、

日本人が今、探し求めているのは、

実のところ日本ではないかとも思った。

庭に携わる我々は、日本に最も近く、

これによって社会に関わることで、

現在の日本人に日本を意識させることのできる日本人なのである。

『庭はJAPANか JAPANは庭か』

とても、深淵なテーマであるけれど・・・、

日間賀島のうまい魚とうまい酒を味わいながら、

おおいに語り合おう!

          2008年1月 庭(28=ニワ)
          文化が永遠に続く(00=)年の初めの月に

                     「庭JAPAN」編集長  川部 純
第1回 全日本庭サミット 庭JAPAN の様子
愛知県のm28e 岩間です。


10月2日、3日、つくる。にて

「 第1回 全日本庭サミット 庭JAPAN 」 がありました。

「 庭とアート 」 を語ろう、の呼びかけに

愛知、岐阜、東京、千葉、埼玉、大阪、香川から庭師が集まり、

こよみのよぶねの方々も参加してくださいました。

(こよみのよぶねHP http://www.dnaand.org/


2日夕方、寝袋をかついで到着する方々。

つくる。に生えているタイサンボクの葉っぱで

名札をつくっていただきました。


乾杯!

のあとは自己紹介。

庭とアートについてそれぞれの思いを聞き、

これを皮切りに飲み、食べ、語り合いがはじまりました。

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途中、飛び入り参加した方々も。

養蜂家、建築士、会社員、デザイナー、カフェの店員と

いろいろな分野の方々が集まりました。


この日は参加者に

「自分が庭と思う写真1枚と、アートと思う写真を一枚」

持ってきていただきました。

庭の写真です、と地球がでてきたり

使用済みのおむつがでてきたり。

その場でつくってアートを表現した方もいました。

どれも庭とアートについて

強烈に、疑問をなげかけていました。

DSC_4369.jpgDSC_4368.jpg





その後も熱い語り合いがつづき

とどまらず

最後に時計を見たのが4時半でしょうか。


3日朝、

ほとんど寝ていないにも関わらず

みなさん生き生きと一宮名物、モーニングへ。

昨夜の興奮がさめやらぬ様子。

こよみのよぶねにのせる干支のトラをつくろう、の呼びかけに

勢いよく立ちあがりました。

DSC_4392.jpgDSC_4395.jpg






IMG_4858.jpgIMG_4883.jpgIMG_4871.jpg





少し振り向いてすごむトラ。

腰のくびれ、背骨の曲がり具合。

すでに迫力を感じます。


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足がすごかった。


IMG_4885.jpg





4時ごろ、こよみのよぶねを監修するアーティスト、

日比野克彦さん到着。

日比野さんを囲んで、再び語りました。



この日、この場所にあのメンバーが集まり

延々と語り、

(私には理解できないことだらけではありましたが、、、)

来て下さった方々がここで得たもの、

そしてそれが種となってこれから生まれるものは

はかりしれない。

このすごい感じが

誰もいなくなったつくる。に残っている気がして、

酔ったような気持ちでこの日を終えました。



忙しい時期にもかかわらず

駆けつけてくださったみなさま、

ありがとうございました。


10月23日(土)・24日(日)には鳥取県倉吉市で

「 プチ 庭JAPAN in 倉吉 1.23 」

が開催されます。

詳しくはつくる。 info@ m28e-tsukuru.jp まで。





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プロフィール
名前:
全日本庭サミット 庭JAPAN
誕生日:
2008/01/06
自己紹介:
心に庭をもつ

すべての人たちの

庭としての巣

それが

庭JAPAN



・・・・・・・・・

庭JAPAN参加者紹介のページは参加された方のみに公開しています。

IDとパスワードを入れてご覧下さい。

ご不明な点は m28e まで↓
info@m28e-tsukuru.jp
tel 0586-82-6582
fax 0586-82-6583

・・・・・・・・・
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