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コンナカタチ
2011.01.31
愛知県のm28eの古川です。
大阪のグリーンスペースのホームページ
辰巳耕造くんのブログでこんなことが起こりました。
↓
新生TRUCKへ
2011.01.07 Friday
いまや全国からお客さんが訪れるという
大阪を代表する家具屋さん
「TRUCK」*に。
玉造から旭区に移転してからは
はじめてである。
もとは古いタクシー会社の事務所とガレージだったという建物を
リノベーションして
前はバラバラであった
店舗兼工場と雑貨制作のアトリエそして
新しく加わったカフェ「Bird」*
が一つの場所に。
ボクはここの家具が大好きなのだが
(高くて買えませんが、、、いつか絶対に!)
その作られている家具の雰囲気をあらわすような
おおきな緑の空間に囲まれています。
カフェでランチを食べたのですが
そこの窓から見える緑も内装ももちろん家具も
すっごい心地よい空間でした。
写真撮影が禁止されていて伝えられないのが残念ですが、、、。
店舗で売っていた
移転したときの話が特集されている
「クウネル」のバックナンバー*を購入。
その中で敷地に植えられている緑のことが結構書かれています。
この緑の何本かは取り壊しが決まった公団住宅の敷地から
救出したものがあって
その木を植えたかったから移転したようなもの。
との話が。
さらに
造園のことにも。
通常設計士と業者が相談して図面上で決められるのが造園。
人工的に整枝されていて自然樹形のものがない。
造園屋がかたくなにこだわる木の表と裏の話。
普通はファックスで注文するだけなのに山で一本一本みて木を選んでビックリされた。
と、こんな感じのことが。
これを読んですごくくやしくやるせない気持ちに。
造園屋がこんな業者ばかりではないってことを
もっともっとしっかり伝えなければと。
しかもこれは「大阪」で庭をつくろうとした人が感じた生の言葉なんやと。
たぶん何人かの造園屋さんと事前に話をされてがっかりされたんやと、、、。
すごく自分の力のなさを感じてしまいました、、、。
こんなことがあちこちで起こってるんやと、、、。
今までは「ボクら」が伝えないとというような書き方だったが。
それではあかんねんなって。
これからは
ボクが伝えないと。
ボクが出会わないと。
そしてニワプラスのメンバーも伝えて出会わないと。
今年からはそういうふうに考えていかねければと感じております。
こんな考えや仕事をする
庭師が大阪にもおるんやってことを
ちゃんと声にだして伝えていきたいなと!
少しずつでもちょっとずつでもです。
そういう仕事をしていきたいなと。
その場所は
本当に緑に囲まれたいい空間でした。
そしていい教訓をいただきました。
明日から仕事開始です!
いい正月休みでした。
大阪八尾の庭師
GREENSPACE CO.LTD.
タツミコウゾウ twitter♪
http://green-space1991.com
スミマセン質問です。
特に最近気になりますが、その山どりの木についてです。例えば、京都の白河砂が乱獲による採取禁止を例のように、その内その反面が必ず出てくるような…。山を管理する際、根ごと引き抜くというのはあまり聞いたことがないのですが、里山なら伐採してひこばえでまた成長させ循環できますが。掘った穴は山にとったら傷な訳で、山なら全国あるから大丈夫何て言われればそれまでですが。でもそれは人間のエゴでもありますよね。畑で育てられた木でも植栽の技術でカバー出来る気がしています。それが庭師の腕になるとも考えています。もしよければ、解る範囲でも教えていただければと思います。よろしくお願い致します。
| サトウマコト | 2011/01/08 12:54 AM |
コメントありがとうございます。
まず話の前提としてボクはこのブログにも10月くらいに書いたと思うのですが、エコな庭とか環境にやさしい庭をつくるということをメインというかそこまで重要に考えてないというのがあります。
正直、ボクも大量に山どりしている現場は直接みたことが
ないのでなんとも言えないというのが本当のところです。
偶然にも今年も春に東北に山どりをしている場所に
行く予定がありますので、またこのブログで報告するかと。
ただ山どりという行為が宅地開発などでおこなわれている
森林伐採や白河砂の乱獲とはかなりイメージが違うとボクは思います。
間引いていってまたそのとき小さなものが大きくなってという
循環はあると思います。(これはまだ見てないのでわかりません。)
庭をつくるそして木を植えるという行為は
それ自体が人間のエゴなわけで
まずそれを「環境にいいことしてる」という考えが
ボクは違うと。
もっと言えば人の力で山を守るなんて考えも。
畑の木(畑の木というのがよくわかりませんが・・・そしてそれがはたしてエコなのかということも)と山どりの木があったら
自分の表現したいものに近いものをボクはやっぱり使います。
技術や腕だけででどうにかなる
やっぱりどこかに人がしたのいやらしさがでてしまうと。
どうにかできないのが庭ちゃうんかなぁって。
厳しいところもあり、やさしいところもある。
人がつくるものですから。
山どりの知識がなくてすみません。
| KoZo | 2011/01/08 10:53 AM |
はじめまして!庭師はもっと広い視野で庭を見た方が良いかもしれませんね。庭の歴史・環境・エコ・デザイン・アート・設計技術・哲学・美意識などなど。究極の芸術が庭だと思いますから。(^▽^)
| halsowa | 2011/01/08 11:59 AM |
御指摘のように、白川砂については、現在は採取禁止です。その影響で、京都の代表的な庭の白川砂確保が困難になっています。石庭や枯山水など、これから京都の庭の白川砂を、どのように確保していけばいいのかということが問題になってくると思います。法律が何を目的に作られたのか?また、地域の文化がどうあるべきか?京都は三山と、どのように付き合った来たのか?などなど。地域固有の特性に配慮しながら考えて行くと、答えに近づけるのかもしれません。その場と環境を読み、場によって最善の解答を見付けることが造園の手法だということを再確認したいと思います。
| halsowa | 2011/01/08 12:09 PM |
盛り上がっていますね
僕もコメントします。
グリーンスペースの弟です。
僕は思うのですが
白川砂と植物を一緒の土俵で考えると
ややこしくなるような気がしますがどうでしょう?
そして
「畑で育てられた木でも植栽の技術でカバー出来る気がしています。」
確かにある程度はカバーできると思いますが
イメージしているものが
やまどりの木で、畑の木でなかった場合は
それは庭をつくる僕からすると
技術ではなく妥協のように思います。
やまどりの木だから良いわけでもなく
畑の木だから悪いわけでもないです
そのお庭の空間にあう樹木を選ぶのが
僕たち庭師なんです。
庭という小さな空間と
山という大きな空間は天秤にかけにくいようにも思います。
そして
僕たちの仕事は自然を相手にしているからなのか
矛盾がたくさんあるとも思います。
街路樹の剪定だって
ガリガリに切っているのが本当に良いのか?(僕は街路樹の剪定はしていませんが)
コンクリートってどうなのか?
とか、探せばきりがないです
考えれば考えるほど
実生活のモノたちにも矛盾がたくさんあります。
でも
このようにみんなで話し合うのが
まずは大切なんじゃないかと思います
どうでしょうか?
| グリーンスペースの弟 | 2011/01/08 6:40 PM |
ご返事ありがあとうございます。とても勉強になります。
つたない文章からいろいろ汲み取っていただいてありがとうございます。
まず、山どりについては、安易に山どりに走り始めそうな今の庭の世界の兆候に対しての危惧です。これは何が正しいとか、そういったことではなく、自分だけかもしれませんが、ただならぬ不安を感じずにはいられない。そういった想いからの発言です。白川砂は話が伝わりやすいかと思いその例にしてみましたが、これは自分でも極論であると自覚しています。大事なことはそこではありません。
昔はまわりの環境についてそこまで考える必要がなかった。日本人みんなの生活そのものが、自然にちゃんと循環しうる生活を送っていたからではないでしょうか?なので庭の世界では対お施主様対自分のみ考えるだけでよかったのではないでしょうか。しかし今は違う。庭があらゆる世情を投影したものであるならば、今の庭はより考える選択肢が増えていて当然であり、目まぐるしく変わる世情に常にアンテナを張る必要があります。そういったことへの危惧であります。そういった意味で、エコと庭は相反するものでありますが、縁は切れないものであると思います。
| サトウマコト | 2011/01/08 8:16 PM |
こんばんは!
色々な意見が出ること、とても良いことだと思います。
造園における山取りを考えるには、
京都を取り巻く三山が、平安時代にどのような状況であったか、また、その森林風景から京都の(日本の)庭園がどのような影響を受けてきたかという点と、
「原生林」・「天然生林」・「人工林」・「里山」など人と森林の関わり方の歴史を、どのようにとらえるかという点、
この2点についての見方や考え方が参考になると思います。
割り箸の議論に似ているところも有りますね。
御興味があるようであれば、森林の歴史や生態・システム・人との関わりについて勉強されれば、
自分自身の考え方が形成されて来ると思います。
| halsowa | 2011/01/08 9:20 PM |
的確なアドバイスありがとうございます。いいヒントをいただきました。調べてみます。基本的なところの勉強不足でした。
| サトウマコト | 2011/01/08 9:57 PM |
halsowa様
ブログ読んでいただいて光栄です。
そしてコメントまで。
大阪でのリビング&デザインで作品もみせていただきました。
おっしゃっておられるように
もっと広い視野で庭を見れるようにこれからも勉強あるのみでだと思っております!
手を動かしてカラダを動かして
そこで感じたいと考えております。
庭に関する特定の教育も受けてませんので
難しいことはあまりわかりません。
ですが自分なりの
カラダで知れる、なまなましい何かを探したいと。
それを庭を表現したいと。
またいろいろ教えてください。
| kozo | 2011/01/08 11:21 PM |
ジローへ
うん、話し合うことが大切やと。
そして怖がらず自分の意見を言うことも大切。
| KoZo | 2011/01/08 11:26 PM |
サトウマコト様
ボクもなんの考えもなく、山取りに安易に走ってしまうという
危惧があるというのはすごく共感できます。
そしてエコとは縁がきれないものということも。
ボクは今のところ、これは前にも書いたのですが
作品を通して、そのものに矛盾は孕んでいても
エコや環境を喚起できるものをつくれればと考えております。
ボクは個人邸がメインですし、これからもずっと個人邸にこだわっていきたいと考えております。
もっと大きな庭になれば、このエコの問題も変わってくるのかと思います。
ボクもずっとエコのこと考えています。
そして今は矛盾がどうしても生じてしまうのです。
未来にむけて一緒にいい答え考えていきましょう!
| KoZo | 2011/01/08 11:38 PM |
私も頭を冷やして考えています。
自分の中で、今のエコで商売が成り立つという反面の目に見える現象として表しているのが白川砂の例に近いイメージであったのだとおもいました。今生物多様性という言葉も上滑りに浸透しておりますが、園芸品種の文化も元は山採りであったし、まっさらな状態から考えれば山採りしか方法はなかったはず。そこを頭に入れていませんでした。そしてその中で仕立て物という人工的な形も産まれている。そして植木生産の文化が始まる。
今生物多様性という言葉も上滑りで浸透しておりますが、そこに園芸品種のエスカレートしている現実がすでにあります。私が気持ち悪さを感じたのはそこで造園でいう植木部門、すなわち山どりについては全くそれとは関係ないとスルーしがちな面が怖かったのです。
それと昔の庭には今のエコと言われていることの本質はメインテーマではなく、知らず知らずに哲としてやっていた。エコな庭というメインテーマにそのことがくるということは世情を反映しておりますが、上っ面であるから気持ちがわるいと思うのだと思います。もう少し調べて考えます。すみませんでした。
| サトウマコト | 2011/01/09 7:17 AM |
新年早々熱いですね。
萬葉の北谷です。
僕も最近、石を扱うときはなるべく採石場まで足を運ぶようにいますが、そこには環境問題とは全くかけ離れた景色が広がっていて少し恐怖も覚えます。
本当ECOとは正反対のものだと再認識させられます。
山どりの木もおっしゃる通りブームになることの恐怖感があると思います。僕も最近好んで扱うようになってきましたが、そこまで掘り下げてはいませんでした。
今回の皆さんのコメントをみて考えさせられます。
実際、庭をつくる過程においてはECOとは結びつかない事柄ばかりですが、ひとつのカタチになった庭が人のココロに伝わり、庭を通じて緑や自然の認識を深めていけたとすればそれはECO的な行為に繋がると思っています。
皆さんのコメントを読んで熱くなりました!
もっともっとその取巻きまで理解してやらなければ。と気が引き締まります!
本当にこんな会話ができることって素敵ですね。皆さん感謝です。
| MANYO | 2011/01/09 10:13 AM |
こんにちは!(⌒-⌒)
私も植木屋の息子として、幼稚園の頃から親父に樹木の植え方など教え込まれました。そんな体験もあり、造園が大好きです。また、庭師の可能性を、いろいろな方と発展させて行けたらと考えています。ぜひ、このような面白い意見交換を、色々な場に拡げてゆきたいですね!ヽ(^◇^*)/
私も、
「手を動かしてカラダを動かして
そこで感じたいと考えております。」
という理念が、造園の基本だと思います。
情報に振り回されず、まず、触覚・聴覚・嗅覚・味覚などの五感を総動員して、加えて、自分の哲学・知識・経験とセンスをよりどころに、その場で自分で感じ、考え、表現することが造園でしょうね。
山取りや白川砂に関しても同じです。
安易な「エコ」という流行語に流されず、
造園家として、現場から、しっかりとした考え方を発信すべきだと思います。
「手を動かしてカラダを動かしてそこで感じ」ることを追求していけば、そこに正しい発見が見つかると信じています。
造園・職人の感覚や考え方を世界に向かって発信していきましょう!!!(`0´)ノ
| halsowa | 2011/01/10 11:13 AM |
サトウマコト様
上っ面であるから気持ち悪いというのはすごくわかります。
ボクも仕事していく上で、その上っ面だけにならないように
常に本物にふれてやっていこうといつも念頭においています。
でも現状は、造園業界、ハウスメーカー、建材メーカー・・・などなど
流行ってるからとかお金になるからで動いている人たちが
ほとんどのかなしい状況です。
ボクはそうじゃない人たちが
もっと声を大にしなければいけない時がきている思ってます。
おっしゃるように
「エコ」が
メインテーマになるような
時代ですから。
ボクもとにかく勉強します。。。
| KoZo | 2011/01/10 6:00 PM |
萬葉 トモユキ君
コメントサンキューです!
今年も
お互い刺激し合えるようなものを
伝えて そして
つくって 表現していきましょう!!!
砕石場の話山どりの話
そしてエコな話
まだまだ
ちゃんとボクらの中で整理しきれてないことが
正直、山積みやと(汗)
今年もまた
いろんな「場」をもてたらええなぁ
| KoZo | 2011/01/10 6:07 PM |
halsowa様
何度も訪れていただいてありがとうございます。
ボクもこんな意見交換がいろんな方と発展させていけたらと思います。
特にどちらかというと保守的な
造園界は必要なことなんだと思います。
これからも現場からの声を発信していけたらと考えております。
またどこかでお会いできる機会があればうれしいです。
今後ともよろしくお願い致します。
| KoZo | 2011/01/10 6:26 PM
いやいや!あついっすね!
ほんま!流行ッ中かんじはあかんですわ!
僕が思うに、むかしっからヤマドリはあるんです!
マタギとか、ソマビトとか必要以上にとったりしないいんです!
エコっていいますけどエコって必要にとりすぎないことだとおもうんです!
僕らのすんでいる、出雲ってところは、今、とても、中途半端で、もうちょっと前の時代がちょうど良かった」かんじです!
だからって、後戻りできんのです!
今、俺ら、っちゅうか、コウゾウくんにいわすと、俺がなんとかせなあかんのです!
俺にできることがあればやりますよ!マジで!
| sakuraya575 | 2011/01/10 10:10 PM |
非常にいい感じのやりとりですね。
物事の本質や意味を感じとり、自分なりの物差し(哲学)にのっとった
軸をしっかりつくりあげる。そして流れ流されず真ん中から判断する
というのが、まだまだ道の途中ですが、自分の目指す所なんで、皆さんの意見交換は自分もドキリとさせられたし、やまどりに関しては俺もやはり現場で体感し見極めなきゃだなと改めて実感しました。
軸をしっかりつくりあげて行く過程において
お互いの否定しあいが多いなか、本当にいい意味での意見交換だと
感じました。
俺も課題を頂いた感じですね。
| 千葉の檀上です。 | 2011/01/10 10:16 PM |
エコの問題は難しいですよね!やまどり採集に関しては、近代園芸も大航海時代のプラントハンターによって始まったようなもの。それによって、庭園文化、料理の文化や、医療の進歩をもたらした影響も然りです。(イングリッシュガーデンなんか全て英国本土の植物でなく、もとは南アフリカやアジアからの植物)やまどり=必要悪的なものかもしれません。でも先人たちは、最低限ルールがあったと思いますよ!もちろん必要以上採集しないし、話の最初にあったように引きぬいた穴はそのままにしなかったはず。
そして我々はそれをどうやって枯らさないようにカッコよくするかです。植えたがいいがすぐに枯らしてしまっては無駄な殺生です。無理にしてしまうことがエゴのように思いますよ。
京都の庭を見ても借景してるとこはなるべくそこの自然にあるものをうまく取り入れています。辰巳さんが以前土塀講習での安諸親方の話で瓦が足りなくなければ代わりのものを使うことを思い出しました。そんなことがなんか面白み、味にでると思います。
近年雑木林の庭が流行してますが、流行は悪くないのですが、樹木自体が外国種が多くなってきたことが少し心配です。動かない樹木がまして外国から移動してくることが少し無理に引っ掛かってるような気がします。それによって日本の環境が変化してしまうとエコではなくエゴになるかもしれません。ワールドカップ開催国の南アフリカで豪州の植物が流行して今では大変な環境破壊になっているそうです。日本でも里山が荒廃し杉の人口林が多くなり、宮脇昭先生ももはや鎮守の森でないと本来の自生樹木が観察できないといってます。緑をどんどん増やすことがよく考えてないと環境破壊になってしまう。エコにならないことも考慮しなければなりません。
| ラムジこと奈良の藤村です。 | 2011/01/11 12:34 AM |
いい議論じゃな~^^
少し整理してみたよ。
>庭をつくるそして木を植えるという行為はそれ自体が人間のエゴ BY こうちゃん
でも、植えないよりは植えるほうがいいよね。緑はなくなる一方だからね^^
植える人がいなきゃ、乾ききった世の中になるもんね。。。
的確な樹種選択は必要じゃけどな^^命を大事にできるようにね。。。
>やまどりの木だから良いわけでもなく
畑の木だから悪いわけでもないです
そのお庭の空間にあう樹木を選ぶのが
僕たち庭師なんです。 BY ジロー
その通りじゃと思う。
その括りでは考えてないよね^^
>僕たちの仕事は自然を相手にしているからなのか
矛盾がたくさんあるとも思います。 BY ジロー
それは、極論すぎるところもあるね^^
極論を言えば、環境を破壊しない事が完璧な善という角度から見れば、人が生きる事自体が「ego」になってしまうからね。
でも、人の営みはやはり重要で、いろんな角度から見れば、ある角度では犠牲になるものもあれば、別の角度で見れば生まれるものもある。
だから、犠牲になったものの為に、何かが生まれなきゃいけないってことじゃないかな^^
生まれるってよりは、生まなきゃいけないってこと。
そのくらいの覚悟は「ものづくり」する人間にはないといけないって俺は思うな^^
>エコと庭は相反するもの By サトウマコトさん
本当にそう思いますか?
私はそうは思いません。庭に罪はありません。庭に持ち込まれた材料すべては生き続けています。石、土、樹、すべてです。そこにこなければ生きていけなかった樹がいることも事実です。
その庭が「eco」と相反してるかな?
なんて思ったよ^^
ここからは俺の考えね。。。
流行を止める事はできない。
そこに、人の営みがあるから。
そして、その流行に乗り、お金儲けをする人、それを求める人の方が多い事も事実。
それを止める事はできんのんよ。
じゃあ、俺らに何ができる?
そこで、自分が何をするのか、何ができるのかということじゃないかな^^
きれいな言葉で批評や否定することは誰にでもできる。
でも、それをどう思っているのか、だから自分がどうするのか、周りをどうしたいのかを考えて議論しなきゃ、批判の嵐、評論の世界になってしまうね。
今の風潮で、批評や批判をしやすい世の中で、その方が守られる風潮にあるけど、俺らはその中に生きちゃ駄目じゃ。
そして、そこで自信をなくしちゃ駄目よ^^
まず行動、それがコウチャンや、ジロー、キタチャン達が今気付いてやっとることよな^^
物事のすべてをひと括りにすれば矛盾は必ずおきてくるよ。
その矛盾の中でまず、自分ができる事が何なのか、そして、それによってどういう効果があるのか、どう伝えればいいのか、それを考え、行動に移してはじめて意見が言える。俺らはそうありたいね。
完璧な人間じゃないんじゃけ~^^
生かす、殺す、生みだす。これを忘れちゃいけんと思うな~。
生かす、生み出す。だけってことはあり得ない。
生み出すときには何かが犠牲になる。
でも、最低でも「プラスマイナスゼロ」、できれば「+」にかえていけるように日々悩むんだよね^^
それが「庭プラス」じゃろ?^^
何かを考えるとき、必ず忘れちゃいけないことは、そこに「人の営み」があるということ。
人はどんどん贅沢になり、便利なものに進んでいく。
このパソコンだってそう。
間違いなく「ego」だよね。
でも、それを使わなきゃ今の世の中で何かを伝えていくのは無理だよね。スピードある、何も考えず、言葉巧みに操っていくモノに負けてしまうから。
「eco」製品だってそう。けっして「eco」なわけじゃない。でも、『他の製品よりは気を遣ってますよ。使うことだけ考えたら・・・』くらいのことなんよな。
みんながメディアの情報に踊らされてるだけ。。。
「eco」と名をつければいい事してるみたいな気分になってくる。
それを作ったりする事によって使われるエネルギー資源や、物流の事まで考えると「eco」なのかどうなのかってことはたくさんあるよね。
世の中の流れに逆らうことは、決して悪い事じゃない。
でも、それじゃ何も変わらない。
その流れを受け入れてこそ、はじめて何かが動き出す。
極論じゃ何もうごかんのんよな。
そして、正しい答えもこの世に存在しないということをよく理解しとかなきゃね^^
今の自分が考える最高の答え以外には存在しない。
そこに、正解、不正解はない。
常にこれでいいのか・・・もっといい方法はないのか。。。
と考えてなきゃ駄目なんよな^^
固定観念が恐ろしいことになるから。
今の庭師業界が抱えている問題もそこがあるからね^^
やまどりの樹の話に戻れば、樹を山採りすることを悪とすれば、畑で育てる樹に農薬ぶっかけて育てて、化学肥料で大きくしないと元気に育たんような土を作り出してる樹が善だと思うかな?
そうじゃないよね。
結局、結論はないんだよね。
だから俺らができることは、ヒトツヒトツを大事に、感謝しながら「モノヅクリ」していくこと、そしてそこで新たなモノ、感情を生み出すことしかできんのんよな。
頭の中で完結する議論じゃ駄目じゃと思う。
評論家になってしまう。
俺らはその世界じゃ生きたくない。
それぞれが、今思う何かをどう行動に移すのかをこの議論の中で導き出していくことが本当の意味よな^^
「eco」とか、「環境破壊」とか、いろんな「コトバ」はあるけど、そこで一番問題なのは、「環境負荷>生み出される何か」という構造になったとき、それは変えていかなきゃいけない。
人の「ego」はなくならない。
そこにお金が生まれる事も確か。
そのお金で営みが生まれる事も確か。
もしも、本当にそんな事例を何とかしたいと思うなら、考えなきゃならない事は、環境のことだけじゃない。
世の中の流れ、政治、経済、文化、未来・・・
とても広い視野でモノを見る必要があると俺は思うよ。。。
そうすれば、まず動く事しかできないんじゃないかな^^
じゃあ、何ができるのかな?^^
この話はゆっくり飲みながらしたいね^^
偉そう言ってごめんね。
まだまだ説明足らずじゃけど、
この議論、すばらしいと思ったよ。
なんか俺もうれしいわ^^
ワイワイ言いながらみんなで楽しんでいこうね^^
| niwatan | 2011/01/11 2:37 AM |
すごい!!!感動致しました!
その通りですね。
今回生物学的な詳しい意見を言えなかったところが、すごくくやしいですが、生物多様性の理論を支えている人たちは山の中のけもの道をかきわけ、植物の同定作業、しかも~種のレベルです。そこを生息する動物たちの糞や食べ後、巣穴など、通り道を生き物目線で膨大な資料情報をフィールドで探してきます。しかもそのことに、日の目が当たることはありません。体を張った仕事であります。これからは、学者先生なんて思わずに、いろいろな分野で手を組んでいい形にしていけるといいですね。
| サトウマコト | 2011/01/11 8:03 AM |
sakuraya575様
コメントいただいてありがとうございます。
必要にとりすぎないことが「エコ」
ほんとにそうだと思います。
きっとそこにいい関係あるんやと。
出雲は必ず最低でも年に一度はいく場所です!
築地松や民家の瓦・・・。
とても大好きな場所です。
櫻屋さんがきっとなんとかしてくれはると思います!!
| KoZo | 2011/01/11 6:53 PM |
壇上様
こんなに皆さんからコメントをいただけると思ってなくて
ほんとドキリの連続です。
自分がわかってないところが改めて認識できますが・・・。
また春にやまどりの現場で
ゆっくりこのことについてお話できたらなと思ってます。
ほんとおかげさまでここがいい意見交換の場になってることがうれしいです。
| KoZo | 2011/01/11 7:04 PM |
藤村様
訪問そしてコメントありがとうございます。
外国種や杉の人工林の問題はありますよね。
南アフリカの話はまったく知りませんでした。
是非また今度お会いしたときに教えてください!
宮脇昭先生の本はボクも何冊か読んだことがあります。
生態系や自生樹木などのことを考えると
庭でとなると、なかなか難しく
今、うまく答えがみつけられません。
ボクら庭師なりの
答えや考えを探さないと。
なんか「やわらかな」答えがみつかったらええなぁ
なんて思ってます。
| KoZo | 2011/01/11 7:21 PM |
サワグリの丸太がほしくてうら山には入る、穏やかな山だけどさかを登り高いところにたどりつき細い獣道程度の尾根道をしばらく行く
程良いところまで行くと崖を滑り降りる、かかとを立てて山の木につかまりながらザザザッと、
下までつくと谷の沢を歩き探し続けてやっと見つかる、
そして手頃な長さに切り肩に担ぐ、サワグリは思ったよりも右肩にズシリとくる、そしてもときた道を行く。
さっきの崖が見えてくる滑り落ちないよう、つま先を立てて必死に左手で山の木につかまりながらよじ登る。
それを何往復化する
なるべくならば冬が良い夏の山は怖い、おれはそれほど馴れてないから。
ましてや山の木を生きたまま連れてくるとなっちゃもっと気をつかう。
山は生きているんだ
樹齢二千年の杉の木が最後の時を迎える大きな台風によって。
長雨によって山がくずれる。
こんなことは当たり前なことだ
山はすぐにとりもどす
おれが問題だと言うことは
「人間が生き物であることを忘れかけ始めている」
のではないかと言うことです
おれはコメの作り方を知りません
これは日本人として大問題なんじゃないかと最近思うんです。
善ちゃんの言うとおり
流行やこの便利な世の中を止めることは出来ない
じゃあどうする
山取と採石山と高速道路の違いはどこだろうか
っと気軽にコメントさせてもらいました、なんだか尻切れだけど。
それにしてもすごいブログですね
| しおの | 2011/01/11 7:39 PM |
庭譚 善次郎様
ありがとうございます。
善次郎さんのリアルな意見が聞けて
本当にうれしく思います。
しかもこんなにわかりやす言葉で丁寧に。
すごく心に響きました。
善次郎さんの考え方や捉え方
そして物事に対する表現の仕方
同じ場で議論をさせてもらって
あらためてすごさがわかりました。
すべての基本にある「人の営み」
そして「生みだされる何かと環境負荷との関係」
「モノヅクリ」をしていくということ
・・・
自分にはいったい何が出来るか?
ボクも動きながら
ときには失敗や間違いもし
こうやってたくさんの人たちと議論をかわしながら
何かを掴み、導きだしていきたいと。
それはこの仕事を続けて行く間ずっとずっと
自分には何ができるのか?
って問い続けていくことやと。
やるからには妥協はしたくないです。
善次郎さんが今、みている みえている
「景色」がみれるように
ボクもがんばります。
もちろん楽しみながら。
「ニワプラス」の意味は
善次郎さんバージョンを
新たに加えさせていただきます(笑)
ほんとそうですね ボクらは
日々「プラス」に変えていけるように
悩んで挑戦していかねばなりません。
コメントありがとうございます。
励みになります。
近いうちに福山に行かせていただきます!!!
その時はまたよろしくお願いします。
| KoZo | 2011/01/11 7:59 PM |
サトウマコト様
今回はほんとにサトウさんの一言から
はじまったと思います。
すごいことになりました!
全国のたくさん庭師の方が書き込んでいただいてくれました。
いつもよりちょっとだけ前に進んでみることで
こんなに変化するんやってことを
ボクは身をもって昨年一年で学びました。
単純でシンプルやけどすごいことです。
わかっていただけたとは思いますが
ボクは難しいことはわかりません。
それでもよければまたいろいろ一緒に話ましょう!
おっしゃるように
いろんな分野で手を組んでいい形にしていくことが
大切やと思ってます。
| KoZo | 2011/01/11 8:18 PM |
しおのさん
ありがとうございます。
ボクのブログ、えらいことになってます・・・。
でも気軽にって深すぎます・・・。
「人間が生き物であることを忘れかけ始めている」
塩野さんの言われることには
いつもドキっとさせられることばかりです。
そしていつも学びたいと思うことばかりです。
話は少しかわりますが
ボクが最近会ったひとのなかで
一番生き物のニオイがする人間は
間違いなく塩野さんです。
もちろんいい意味でです!
ついさっき
このブログもみてくれた
宮城のよっちゃんからも
山はいきている そしてすぐにとりもどす
って同じような内容の話を教えてもらいました。
山どりと採石山と高速道路
塩野さんならどう考えるのか
塩野さんならどうされるのか
すごく教えてほしいです。
またお会いできるのが楽しみです!
| KoZo | 2011/01/11 8:34 PM |
カゼモニワ 多田です。
いい議論ですね。
遅ればせながら、、、。
おれは木に魅力を感じ作庭家になりました。
直感で。
人間には木が必要やそう思った。
だから庭をつくってる。
山取りは木を知る為には自分には必要やし、
山に入ればどう木が再生しているのか
そして山の異変もみえてくる。
まだまだ知らない事だらけやけど
感じれる。
エコなんていう言葉に惑わされてもしょうがない。
観て感じることが重要やと思う。
ガーデニングが流行ってたりするけど
ある意味ではいいことやと思う。
多くの人が知ることにより、
問題はあぶりだされてくるから、、、。
無関心では何も生まれない。
感心を持ってもらうことも
庭を作る人の役割の一つやと思ってる、、、。
こんなことを書いてると終わりそうもないので
また会って話しましょう!
今度は徹夜でもオッケイやでー。
| 多田 | 2011/01/11 9:14 PM |
カゼモニワ 多田さん
コメントありがとうございます。
多田さんの年明けすぐにの気合いのはいった
ブログにちょっと圧倒されてしまいました(汗)
やっぱり自分のカラダで感じることが大切ですね
ボクも山を知らなくてはなりません・・・。
そういう感覚、感性は作庭家としてもたくては。
おっしゃるように
関心をもってもらうことが大切ですよね。
ボクの仕事、勉強会そしてブログなどで発信することも
少しでもこれからの造園界の役にたったらなぁって。
そして少しでも興味をもってもらえる方が増えたらなぁって。
でかい話ですけど・・・。
そんなことも思います。
「直観で」というところが
すっごい多田さんっぽいです!!
徹夜は倒れてしまうかもですが(笑)
ちかいうちにゆっくりまた話してください!!
| KoZo | 2011/01/12 8:55 AM |
創都 清水です。
すっごい盛り上がってますね。
僕も色んな角度から庭と言う空間創りに携わりながら、今まで悶々としておりました。
見る角度や、切り口の位置によって解釈は様々だと思います。
答えは無いのですから。
営みの数だけ庭に求める物もあり、エゴもあります。
犠牲なくして新しい物を生むのは不可能だと思います。
かといって開き直るのではなく、そのために何をすべきかを考え続ける事が大切なのかなって思います。
「やりたい事」は皆それぞれなかなか譲れないものです。
でも「やるべき事」は皆で意見を出し合って考え、力を合わすことも出来ると思います。
「創る事」と「残す事」
「やりたい事」と「やるべき事」
バランスよくなんてカッコイイ事言えませんが、庭師の役割として考え続け動くべきかなって思います。
そしてその発信が人の関心を呼び、間接的でもにエコにつながる無数の動きを起こすのではないでしょうか。
前にお話してた座談会2月はじめ頃に企画してます。
庭師・園芸・樹木医・園芸療法士・華道・緑化メーカー・菜園事業色んな角度からの緑との関わりを聞けると思います。
| 創都 しみず | 2011/01/12 12:30 PM |
柔らかい解決案をみつけましたよ!
私の言い方では安易な山どり危惧になっておりますので、いくつかの中間案を。
基本的には今の山は、以前に比べると、自然回復能力といったものがどんどん落ちていると伺いました。なので、山どりの際の心配点としまして、山の土の根鉢にいろいろなその土地固有の生物、微生物がおられます。山野草なども。なので、それを何処に移動するのか?プラントハンターの例がこれです。そしていい樹形がないからといって、無理して人が入らないようなところに行くこともありません。獣たちがびっくりしています。山どりも、「地産地消」の概念を使う時かもしれません。
私はときどき、有効活用しきれない杉林を伐採し、落葉広葉樹を植樹するボランティアに参りますが、人が手を入れ放置された人工林なども見ておくと感じ方も変わるかと思います。薄暗い林床、単一な下草などなど。
私も大変勉強させていただきました。KOZO様、皆様ありがとうございました。
| サトウマコト | 2011/01/12 12:52 PM |
創都 清水さん
ほんとすっごいです!
「発信が関心を呼び
間接的にでもエコにつながる無数の動きを起こすのでは」
ほんとそうやと思います。
なんか庭師らしい発信
そして大阪らしい発信ができたらなぁ
なんて思いました!
座談会楽しみにしております!
いろんな業種の方々とお会いできるのは
とても刺激的でうれしいことです。
清水さんと一緒に
ボクも
考え続け動き続けます。
これからも大阪を関西を
盛り上げて行きましょう!
| KoZo | 2011/01/12 6:31 PM |
サトウマコト様
その解決案がどーなんか
正直、今のボクにはわからないのですが・・・
これを機に
いろんな知識・見聞をもった方達に話してみてください。
そして百聞は一見に如かず
動いて自分の目で確かめてください。
そしてついでに
全国にはたくさんの庭師がこんなに情熱をもって
日々を仕事しているということを
よかったら伝えてください!
春に山どりを見学に行くと思いますので
そのときにまたボクの感じたことを
ブログに書いてみたいと考えております。
こちらこそ勉強になりました。
ありがとうございました。
| KoZo | 2011/01/12 6:42 PM |
山どり・・・
ずいぶん悪者扱いされてるね(笑)
乱獲はしてません
山の木ならなんでも 売れるというわけでもないし
買い付けた山の1パーセントにも満たないんじゃないかな
いろんな山師がいるだろうからなんともいえないけど
自然の再生能力は すごいよ
何年もかけて降り積もった保湿力のある腐葉土に 種がこぼれ
芽を出し 自ら再生していく
2・3年すると 本当に木を掘った山なのか?というくらいに
どんぐりを拾い 連結ポットで芽を出し 掘り穴に植える山師もいるし 種を撒く山師もいる
なにより みんな山に感謝している
山小屋の壁には 「山のめぐみ」 「感謝の気持ち」と張り紙してある
山師は みんな山に生かされ 山を大事にしています
山から 木を掘ると緑が減る??なんてことはないはず
掘られた木は 遠く運ばれ全国の庭屋さんの手によって
街では 緑が増えてるはずなんじゃないの?
畑の木も 山の木も 同じ緑ですから
庭屋さんの手によって 枯らさないように 大事にしてあげてください
生態系の変化・・・
山で起きてる問題
今 消滅してきてる
なぜなら 山に人が入らないから
これは 意外に感じる人も多いはず・・
山は ただ放置すればいい それが自然
みんなそう思ってる
コナラがあって モミジがあって トネリコ エゴ 山桜・・・等
あるわけだけど コナラなんかが 何年もほったらかしだと
陰になって 成長の遅い木が 消滅していってしまう・・
日本は 何年か前までは 人と山は 共存していた
炭を焼いたり しいたけの穂だ木や 紙の材料パルプとして
人と共にあり 山は生活に欠かせないものだった
でも今じゃ 必要とされず 山は 荒れてきた
50年も経つ落葉高木は 芯から枯れてくる
そして苦しくなり70年後に倒木になり その頃には 種をこぼし
子孫は 増える・・というサイクルなんだけど
手付かずの山は 荒れ果て 再生できないんじゃないかという
クズなどのつる性植物が 手付かずの山では 蔓延り 新しい芽の 成長を妨げてる・・・
山師達がみんな心配しているところ
木が 枯れる前 30年サイクルで 木こり軍団が 木を伐り
新しい芽を出させて 何度も何度も山を再生させてきたわけです
それが手付かずだと 朽ちちゃう可能性が出てきたのは 木が必要
されず 木こりの数は 激減
必要とされる以上の木を再生させることが出来ない現状・・・
木を掘る掘らない以上の問題を山は 抱えてる・・
山堀りは 山の木を助けている
と俺は思う
賛否両論だとおもうけど 山師は みんなそう思ってると思うよ
山に生かされてんだからね!!
コウゾウ君 話し聞いたから 山学校行かなくていいやなんていわないようにね
春 楽しみにしてます!!
| よっちゃん | 2011/01/15 10:37 PM |
よっちゃんへ
忙しいのに心こもったコメント書いてくれてありがとう。
この前電話もらったときに
よっちゃんのパワーと情熱と知識を
あらためて感じさせてもらって
こんなすごい同級生がいるって
ほんとに頼もしくそしてすごくうれしかったわ!
すべてが
山小屋の張り紙にある
「山のめぐみ」「感謝の気持ち」に
あらわされていると。
すごく伝わってくるもんがありました。
ボクらはみたくないものを
都合よくみないようにしているし
そしてみたこともないものを
頭ごなしに簡単に非難することも
しちゃってると思う。
山どりが乱獲なのかという問題とは違う
まったく別の問題が
実際に山で起きているということ。
それはまったく反対の
木を伐らなくなったことで発生した問題。
その場にいって
見て・聞いて・リアルに感じないと
わからないことばかりです。
なんかええ教訓をいただきました。
すごく山師という
仕事に
そして山の再生能力やサイクルに
さらに興味を持ちました。
実際に山にいったらもっといろいろ
感じることがあるんやろなって。
そして今回のよっちゃんのコメントのような
声がいろんな人に届いたらと感じました!!
ボクも春楽しみにしてますので!!
| KoZo | 2011/01/17 6:39 PM |
九州を旅してた時に
道にたたずんでたおばあちゃんに会った。
ひげボウボウで真っ黒けでくっさい俺の目をまっすぐ見据え
おばあちゃんは
「まず山がおかしくなった」
と言った。
俺もたたずんだ。
「川がおかしっくなって、海がおかしくなった。」
「そんで人がおかしくなって死に始めた。」
「・・・うっ。」
「みんなが必死でうごいた。」
「山がもどった。」
「川がもどって、海がもどって、そんで人が治っていった。」
そこは水俣市やった。
四国の大歩危峠を旅していた。
音がない、
光がない、
閉ざされた山の中、
自分の存在だけを感じていた。
いきなり開けた場所にでた。
なんか動いている。
目の前から日が昇り始めた。
赤い光が広がりはじめたその場所で
おばあちゃんが畑を耕していた。
「・・・こんな山奥に」
茫然と見つめていた。
おばあちゃんは日の光のほうを向き
手ぬぐいを頭から取り
そして
ゆっくり頭を下げた。
うつくしい。
俺はそのあと
涙でかすんだ夢のような視界の中
こわさないよう
その場を離れた。
そこに人はいる。
そこにモノはある。
ひきこもりたい奴はひきこもって薬をもらおう。
前に出なきゃいけない奴らは前に出て歩こう。
そして引き裂かれるようにモノをつくり、己の血と肉をつくろう。
| m28e | 2011/01/20 9:16 AM |
m28e 古川さま
コメントわざわざありがとうございます。
新しい作品の
「 ヨリドコロ ≒ ス 」
HPでみせていただきましたが
すごく引き込まれました!
古川さんの
「 ヨリドコロ ≒ ス 」の
コンセプトにもありましたが
(コンセプトがどうのとかもありますが
すっごい単純に見た目もカッコいいと思いました。)
古来より山、大木、巨石は拠り所であり
今はその拠り所がなくなってきてるのではないか。
それと今回のコメントと合わせて読ませていただいて
なにかボクの中ですごくしっくりときました。
そして貴重な体験談ありがとうございます。
すごくその景色が浮かんできました。
また直接、話聞かせていただきたいです!
これから古川さんが
どんなふうに前にでて引っ張っていくのか。
どんなふうな歩き方をされるのか。
すごく興味があります。
ボクも内側が湧き出てくるような
引き裂かれるような
モノをつくれるように
もっともっと研ぎすましていきます。
これからもよろしくおねがいします。
| KoZo | 2011/01/20 6:15 PM |
↑
あつい。
いろんな人がいろんな熱を発してる。
いいな、こんなかたち。
※辰巳耕造君の許可を得て全文写させていただきました
大阪のグリーンスペースのホームページ
辰巳耕造くんのブログでこんなことが起こりました。
↓
新生TRUCKへ
2011.01.07 Friday
いまや全国からお客さんが訪れるという
大阪を代表する家具屋さん
「TRUCK」*に。
玉造から旭区に移転してからは
はじめてである。
もとは古いタクシー会社の事務所とガレージだったという建物を
リノベーションして
前はバラバラであった
店舗兼工場と雑貨制作のアトリエそして
新しく加わったカフェ「Bird」*
が一つの場所に。
ボクはここの家具が大好きなのだが
(高くて買えませんが、、、いつか絶対に!)
その作られている家具の雰囲気をあらわすような
おおきな緑の空間に囲まれています。
カフェでランチを食べたのですが
そこの窓から見える緑も内装ももちろん家具も
すっごい心地よい空間でした。
写真撮影が禁止されていて伝えられないのが残念ですが、、、。
店舗で売っていた
移転したときの話が特集されている
「クウネル」のバックナンバー*を購入。
その中で敷地に植えられている緑のことが結構書かれています。
この緑の何本かは取り壊しが決まった公団住宅の敷地から
救出したものがあって
その木を植えたかったから移転したようなもの。
との話が。
さらに
造園のことにも。
通常設計士と業者が相談して図面上で決められるのが造園。
人工的に整枝されていて自然樹形のものがない。
造園屋がかたくなにこだわる木の表と裏の話。
普通はファックスで注文するだけなのに山で一本一本みて木を選んでビックリされた。
と、こんな感じのことが。
これを読んですごくくやしくやるせない気持ちに。
造園屋がこんな業者ばかりではないってことを
もっともっとしっかり伝えなければと。
しかもこれは「大阪」で庭をつくろうとした人が感じた生の言葉なんやと。
たぶん何人かの造園屋さんと事前に話をされてがっかりされたんやと、、、。
すごく自分の力のなさを感じてしまいました、、、。
こんなことがあちこちで起こってるんやと、、、。
今までは「ボクら」が伝えないとというような書き方だったが。
それではあかんねんなって。
これからは
ボクが伝えないと。
ボクが出会わないと。
そしてニワプラスのメンバーも伝えて出会わないと。
今年からはそういうふうに考えていかねければと感じております。
こんな考えや仕事をする
庭師が大阪にもおるんやってことを
ちゃんと声にだして伝えていきたいなと!
少しずつでもちょっとずつでもです。
そういう仕事をしていきたいなと。
その場所は
本当に緑に囲まれたいい空間でした。
そしていい教訓をいただきました。
明日から仕事開始です!
いい正月休みでした。
大阪八尾の庭師
GREENSPACE CO.LTD.
タツミコウゾウ twitter♪
http://green-space1991.com
スミマセン質問です。
特に最近気になりますが、その山どりの木についてです。例えば、京都の白河砂が乱獲による採取禁止を例のように、その内その反面が必ず出てくるような…。山を管理する際、根ごと引き抜くというのはあまり聞いたことがないのですが、里山なら伐採してひこばえでまた成長させ循環できますが。掘った穴は山にとったら傷な訳で、山なら全国あるから大丈夫何て言われればそれまでですが。でもそれは人間のエゴでもありますよね。畑で育てられた木でも植栽の技術でカバー出来る気がしています。それが庭師の腕になるとも考えています。もしよければ、解る範囲でも教えていただければと思います。よろしくお願い致します。
| サトウマコト | 2011/01/08 12:54 AM |
コメントありがとうございます。
まず話の前提としてボクはこのブログにも10月くらいに書いたと思うのですが、エコな庭とか環境にやさしい庭をつくるということをメインというかそこまで重要に考えてないというのがあります。
正直、ボクも大量に山どりしている現場は直接みたことが
ないのでなんとも言えないというのが本当のところです。
偶然にも今年も春に東北に山どりをしている場所に
行く予定がありますので、またこのブログで報告するかと。
ただ山どりという行為が宅地開発などでおこなわれている
森林伐採や白河砂の乱獲とはかなりイメージが違うとボクは思います。
間引いていってまたそのとき小さなものが大きくなってという
循環はあると思います。(これはまだ見てないのでわかりません。)
庭をつくるそして木を植えるという行為は
それ自体が人間のエゴなわけで
まずそれを「環境にいいことしてる」という考えが
ボクは違うと。
もっと言えば人の力で山を守るなんて考えも。
畑の木(畑の木というのがよくわかりませんが・・・そしてそれがはたしてエコなのかということも)と山どりの木があったら
自分の表現したいものに近いものをボクはやっぱり使います。
技術や腕だけででどうにかなる
やっぱりどこかに人がしたのいやらしさがでてしまうと。
どうにかできないのが庭ちゃうんかなぁって。
厳しいところもあり、やさしいところもある。
人がつくるものですから。
山どりの知識がなくてすみません。
| KoZo | 2011/01/08 10:53 AM |
はじめまして!庭師はもっと広い視野で庭を見た方が良いかもしれませんね。庭の歴史・環境・エコ・デザイン・アート・設計技術・哲学・美意識などなど。究極の芸術が庭だと思いますから。(^▽^)
| halsowa | 2011/01/08 11:59 AM |
御指摘のように、白川砂については、現在は採取禁止です。その影響で、京都の代表的な庭の白川砂確保が困難になっています。石庭や枯山水など、これから京都の庭の白川砂を、どのように確保していけばいいのかということが問題になってくると思います。法律が何を目的に作られたのか?また、地域の文化がどうあるべきか?京都は三山と、どのように付き合った来たのか?などなど。地域固有の特性に配慮しながら考えて行くと、答えに近づけるのかもしれません。その場と環境を読み、場によって最善の解答を見付けることが造園の手法だということを再確認したいと思います。
| halsowa | 2011/01/08 12:09 PM |
盛り上がっていますね
僕もコメントします。
グリーンスペースの弟です。
僕は思うのですが
白川砂と植物を一緒の土俵で考えると
ややこしくなるような気がしますがどうでしょう?
そして
「畑で育てられた木でも植栽の技術でカバー出来る気がしています。」
確かにある程度はカバーできると思いますが
イメージしているものが
やまどりの木で、畑の木でなかった場合は
それは庭をつくる僕からすると
技術ではなく妥協のように思います。
やまどりの木だから良いわけでもなく
畑の木だから悪いわけでもないです
そのお庭の空間にあう樹木を選ぶのが
僕たち庭師なんです。
庭という小さな空間と
山という大きな空間は天秤にかけにくいようにも思います。
そして
僕たちの仕事は自然を相手にしているからなのか
矛盾がたくさんあるとも思います。
街路樹の剪定だって
ガリガリに切っているのが本当に良いのか?(僕は街路樹の剪定はしていませんが)
コンクリートってどうなのか?
とか、探せばきりがないです
考えれば考えるほど
実生活のモノたちにも矛盾がたくさんあります。
でも
このようにみんなで話し合うのが
まずは大切なんじゃないかと思います
どうでしょうか?
| グリーンスペースの弟 | 2011/01/08 6:40 PM |
ご返事ありがあとうございます。とても勉強になります。
つたない文章からいろいろ汲み取っていただいてありがとうございます。
まず、山どりについては、安易に山どりに走り始めそうな今の庭の世界の兆候に対しての危惧です。これは何が正しいとか、そういったことではなく、自分だけかもしれませんが、ただならぬ不安を感じずにはいられない。そういった想いからの発言です。白川砂は話が伝わりやすいかと思いその例にしてみましたが、これは自分でも極論であると自覚しています。大事なことはそこではありません。
昔はまわりの環境についてそこまで考える必要がなかった。日本人みんなの生活そのものが、自然にちゃんと循環しうる生活を送っていたからではないでしょうか?なので庭の世界では対お施主様対自分のみ考えるだけでよかったのではないでしょうか。しかし今は違う。庭があらゆる世情を投影したものであるならば、今の庭はより考える選択肢が増えていて当然であり、目まぐるしく変わる世情に常にアンテナを張る必要があります。そういったことへの危惧であります。そういった意味で、エコと庭は相反するものでありますが、縁は切れないものであると思います。
| サトウマコト | 2011/01/08 8:16 PM |
こんばんは!
色々な意見が出ること、とても良いことだと思います。
造園における山取りを考えるには、
京都を取り巻く三山が、平安時代にどのような状況であったか、また、その森林風景から京都の(日本の)庭園がどのような影響を受けてきたかという点と、
「原生林」・「天然生林」・「人工林」・「里山」など人と森林の関わり方の歴史を、どのようにとらえるかという点、
この2点についての見方や考え方が参考になると思います。
割り箸の議論に似ているところも有りますね。
御興味があるようであれば、森林の歴史や生態・システム・人との関わりについて勉強されれば、
自分自身の考え方が形成されて来ると思います。
| halsowa | 2011/01/08 9:20 PM |
的確なアドバイスありがとうございます。いいヒントをいただきました。調べてみます。基本的なところの勉強不足でした。
| サトウマコト | 2011/01/08 9:57 PM |
halsowa様
ブログ読んでいただいて光栄です。
そしてコメントまで。
大阪でのリビング&デザインで作品もみせていただきました。
おっしゃっておられるように
もっと広い視野で庭を見れるようにこれからも勉強あるのみでだと思っております!
手を動かしてカラダを動かして
そこで感じたいと考えております。
庭に関する特定の教育も受けてませんので
難しいことはあまりわかりません。
ですが自分なりの
カラダで知れる、なまなましい何かを探したいと。
それを庭を表現したいと。
またいろいろ教えてください。
| kozo | 2011/01/08 11:21 PM |
ジローへ
うん、話し合うことが大切やと。
そして怖がらず自分の意見を言うことも大切。
| KoZo | 2011/01/08 11:26 PM |
サトウマコト様
ボクもなんの考えもなく、山取りに安易に走ってしまうという
危惧があるというのはすごく共感できます。
そしてエコとは縁がきれないものということも。
ボクは今のところ、これは前にも書いたのですが
作品を通して、そのものに矛盾は孕んでいても
エコや環境を喚起できるものをつくれればと考えております。
ボクは個人邸がメインですし、これからもずっと個人邸にこだわっていきたいと考えております。
もっと大きな庭になれば、このエコの問題も変わってくるのかと思います。
ボクもずっとエコのこと考えています。
そして今は矛盾がどうしても生じてしまうのです。
未来にむけて一緒にいい答え考えていきましょう!
| KoZo | 2011/01/08 11:38 PM |
私も頭を冷やして考えています。
自分の中で、今のエコで商売が成り立つという反面の目に見える現象として表しているのが白川砂の例に近いイメージであったのだとおもいました。今生物多様性という言葉も上滑りに浸透しておりますが、園芸品種の文化も元は山採りであったし、まっさらな状態から考えれば山採りしか方法はなかったはず。そこを頭に入れていませんでした。そしてその中で仕立て物という人工的な形も産まれている。そして植木生産の文化が始まる。
今生物多様性という言葉も上滑りで浸透しておりますが、そこに園芸品種のエスカレートしている現実がすでにあります。私が気持ち悪さを感じたのはそこで造園でいう植木部門、すなわち山どりについては全くそれとは関係ないとスルーしがちな面が怖かったのです。
それと昔の庭には今のエコと言われていることの本質はメインテーマではなく、知らず知らずに哲としてやっていた。エコな庭というメインテーマにそのことがくるということは世情を反映しておりますが、上っ面であるから気持ちがわるいと思うのだと思います。もう少し調べて考えます。すみませんでした。
| サトウマコト | 2011/01/09 7:17 AM |
新年早々熱いですね。
萬葉の北谷です。
僕も最近、石を扱うときはなるべく採石場まで足を運ぶようにいますが、そこには環境問題とは全くかけ離れた景色が広がっていて少し恐怖も覚えます。
本当ECOとは正反対のものだと再認識させられます。
山どりの木もおっしゃる通りブームになることの恐怖感があると思います。僕も最近好んで扱うようになってきましたが、そこまで掘り下げてはいませんでした。
今回の皆さんのコメントをみて考えさせられます。
実際、庭をつくる過程においてはECOとは結びつかない事柄ばかりですが、ひとつのカタチになった庭が人のココロに伝わり、庭を通じて緑や自然の認識を深めていけたとすればそれはECO的な行為に繋がると思っています。
皆さんのコメントを読んで熱くなりました!
もっともっとその取巻きまで理解してやらなければ。と気が引き締まります!
本当にこんな会話ができることって素敵ですね。皆さん感謝です。
| MANYO | 2011/01/09 10:13 AM |
こんにちは!(⌒-⌒)
私も植木屋の息子として、幼稚園の頃から親父に樹木の植え方など教え込まれました。そんな体験もあり、造園が大好きです。また、庭師の可能性を、いろいろな方と発展させて行けたらと考えています。ぜひ、このような面白い意見交換を、色々な場に拡げてゆきたいですね!ヽ(^◇^*)/
私も、
「手を動かしてカラダを動かして
そこで感じたいと考えております。」
という理念が、造園の基本だと思います。
情報に振り回されず、まず、触覚・聴覚・嗅覚・味覚などの五感を総動員して、加えて、自分の哲学・知識・経験とセンスをよりどころに、その場で自分で感じ、考え、表現することが造園でしょうね。
山取りや白川砂に関しても同じです。
安易な「エコ」という流行語に流されず、
造園家として、現場から、しっかりとした考え方を発信すべきだと思います。
「手を動かしてカラダを動かしてそこで感じ」ることを追求していけば、そこに正しい発見が見つかると信じています。
造園・職人の感覚や考え方を世界に向かって発信していきましょう!!!(`0´)ノ
| halsowa | 2011/01/10 11:13 AM |
サトウマコト様
上っ面であるから気持ち悪いというのはすごくわかります。
ボクも仕事していく上で、その上っ面だけにならないように
常に本物にふれてやっていこうといつも念頭においています。
でも現状は、造園業界、ハウスメーカー、建材メーカー・・・などなど
流行ってるからとかお金になるからで動いている人たちが
ほとんどのかなしい状況です。
ボクはそうじゃない人たちが
もっと声を大にしなければいけない時がきている思ってます。
おっしゃるように
「エコ」が
メインテーマになるような
時代ですから。
ボクもとにかく勉強します。。。
| KoZo | 2011/01/10 6:00 PM |
萬葉 トモユキ君
コメントサンキューです!
今年も
お互い刺激し合えるようなものを
伝えて そして
つくって 表現していきましょう!!!
砕石場の話山どりの話
そしてエコな話
まだまだ
ちゃんとボクらの中で整理しきれてないことが
正直、山積みやと(汗)
今年もまた
いろんな「場」をもてたらええなぁ
| KoZo | 2011/01/10 6:07 PM |
halsowa様
何度も訪れていただいてありがとうございます。
ボクもこんな意見交換がいろんな方と発展させていけたらと思います。
特にどちらかというと保守的な
造園界は必要なことなんだと思います。
これからも現場からの声を発信していけたらと考えております。
またどこかでお会いできる機会があればうれしいです。
今後ともよろしくお願い致します。
| KoZo | 2011/01/10 6:26 PM
いやいや!あついっすね!
ほんま!流行ッ中かんじはあかんですわ!
僕が思うに、むかしっからヤマドリはあるんです!
マタギとか、ソマビトとか必要以上にとったりしないいんです!
エコっていいますけどエコって必要にとりすぎないことだとおもうんです!
僕らのすんでいる、出雲ってところは、今、とても、中途半端で、もうちょっと前の時代がちょうど良かった」かんじです!
だからって、後戻りできんのです!
今、俺ら、っちゅうか、コウゾウくんにいわすと、俺がなんとかせなあかんのです!
俺にできることがあればやりますよ!マジで!
| sakuraya575 | 2011/01/10 10:10 PM |
非常にいい感じのやりとりですね。
物事の本質や意味を感じとり、自分なりの物差し(哲学)にのっとった
軸をしっかりつくりあげる。そして流れ流されず真ん中から判断する
というのが、まだまだ道の途中ですが、自分の目指す所なんで、皆さんの意見交換は自分もドキリとさせられたし、やまどりに関しては俺もやはり現場で体感し見極めなきゃだなと改めて実感しました。
軸をしっかりつくりあげて行く過程において
お互いの否定しあいが多いなか、本当にいい意味での意見交換だと
感じました。
俺も課題を頂いた感じですね。
| 千葉の檀上です。 | 2011/01/10 10:16 PM |
エコの問題は難しいですよね!やまどり採集に関しては、近代園芸も大航海時代のプラントハンターによって始まったようなもの。それによって、庭園文化、料理の文化や、医療の進歩をもたらした影響も然りです。(イングリッシュガーデンなんか全て英国本土の植物でなく、もとは南アフリカやアジアからの植物)やまどり=必要悪的なものかもしれません。でも先人たちは、最低限ルールがあったと思いますよ!もちろん必要以上採集しないし、話の最初にあったように引きぬいた穴はそのままにしなかったはず。
そして我々はそれをどうやって枯らさないようにカッコよくするかです。植えたがいいがすぐに枯らしてしまっては無駄な殺生です。無理にしてしまうことがエゴのように思いますよ。
京都の庭を見ても借景してるとこはなるべくそこの自然にあるものをうまく取り入れています。辰巳さんが以前土塀講習での安諸親方の話で瓦が足りなくなければ代わりのものを使うことを思い出しました。そんなことがなんか面白み、味にでると思います。
近年雑木林の庭が流行してますが、流行は悪くないのですが、樹木自体が外国種が多くなってきたことが少し心配です。動かない樹木がまして外国から移動してくることが少し無理に引っ掛かってるような気がします。それによって日本の環境が変化してしまうとエコではなくエゴになるかもしれません。ワールドカップ開催国の南アフリカで豪州の植物が流行して今では大変な環境破壊になっているそうです。日本でも里山が荒廃し杉の人口林が多くなり、宮脇昭先生ももはや鎮守の森でないと本来の自生樹木が観察できないといってます。緑をどんどん増やすことがよく考えてないと環境破壊になってしまう。エコにならないことも考慮しなければなりません。
| ラムジこと奈良の藤村です。 | 2011/01/11 12:34 AM |
いい議論じゃな~^^
少し整理してみたよ。
>庭をつくるそして木を植えるという行為はそれ自体が人間のエゴ BY こうちゃん
でも、植えないよりは植えるほうがいいよね。緑はなくなる一方だからね^^
植える人がいなきゃ、乾ききった世の中になるもんね。。。
的確な樹種選択は必要じゃけどな^^命を大事にできるようにね。。。
>やまどりの木だから良いわけでもなく
畑の木だから悪いわけでもないです
そのお庭の空間にあう樹木を選ぶのが
僕たち庭師なんです。 BY ジロー
その通りじゃと思う。
その括りでは考えてないよね^^
>僕たちの仕事は自然を相手にしているからなのか
矛盾がたくさんあるとも思います。 BY ジロー
それは、極論すぎるところもあるね^^
極論を言えば、環境を破壊しない事が完璧な善という角度から見れば、人が生きる事自体が「ego」になってしまうからね。
でも、人の営みはやはり重要で、いろんな角度から見れば、ある角度では犠牲になるものもあれば、別の角度で見れば生まれるものもある。
だから、犠牲になったものの為に、何かが生まれなきゃいけないってことじゃないかな^^
生まれるってよりは、生まなきゃいけないってこと。
そのくらいの覚悟は「ものづくり」する人間にはないといけないって俺は思うな^^
>エコと庭は相反するもの By サトウマコトさん
本当にそう思いますか?
私はそうは思いません。庭に罪はありません。庭に持ち込まれた材料すべては生き続けています。石、土、樹、すべてです。そこにこなければ生きていけなかった樹がいることも事実です。
その庭が「eco」と相反してるかな?
なんて思ったよ^^
ここからは俺の考えね。。。
流行を止める事はできない。
そこに、人の営みがあるから。
そして、その流行に乗り、お金儲けをする人、それを求める人の方が多い事も事実。
それを止める事はできんのんよ。
じゃあ、俺らに何ができる?
そこで、自分が何をするのか、何ができるのかということじゃないかな^^
きれいな言葉で批評や否定することは誰にでもできる。
でも、それをどう思っているのか、だから自分がどうするのか、周りをどうしたいのかを考えて議論しなきゃ、批判の嵐、評論の世界になってしまうね。
今の風潮で、批評や批判をしやすい世の中で、その方が守られる風潮にあるけど、俺らはその中に生きちゃ駄目じゃ。
そして、そこで自信をなくしちゃ駄目よ^^
まず行動、それがコウチャンや、ジロー、キタチャン達が今気付いてやっとることよな^^
物事のすべてをひと括りにすれば矛盾は必ずおきてくるよ。
その矛盾の中でまず、自分ができる事が何なのか、そして、それによってどういう効果があるのか、どう伝えればいいのか、それを考え、行動に移してはじめて意見が言える。俺らはそうありたいね。
完璧な人間じゃないんじゃけ~^^
生かす、殺す、生みだす。これを忘れちゃいけんと思うな~。
生かす、生み出す。だけってことはあり得ない。
生み出すときには何かが犠牲になる。
でも、最低でも「プラスマイナスゼロ」、できれば「+」にかえていけるように日々悩むんだよね^^
それが「庭プラス」じゃろ?^^
何かを考えるとき、必ず忘れちゃいけないことは、そこに「人の営み」があるということ。
人はどんどん贅沢になり、便利なものに進んでいく。
このパソコンだってそう。
間違いなく「ego」だよね。
でも、それを使わなきゃ今の世の中で何かを伝えていくのは無理だよね。スピードある、何も考えず、言葉巧みに操っていくモノに負けてしまうから。
「eco」製品だってそう。けっして「eco」なわけじゃない。でも、『他の製品よりは気を遣ってますよ。使うことだけ考えたら・・・』くらいのことなんよな。
みんながメディアの情報に踊らされてるだけ。。。
「eco」と名をつければいい事してるみたいな気分になってくる。
それを作ったりする事によって使われるエネルギー資源や、物流の事まで考えると「eco」なのかどうなのかってことはたくさんあるよね。
世の中の流れに逆らうことは、決して悪い事じゃない。
でも、それじゃ何も変わらない。
その流れを受け入れてこそ、はじめて何かが動き出す。
極論じゃ何もうごかんのんよな。
そして、正しい答えもこの世に存在しないということをよく理解しとかなきゃね^^
今の自分が考える最高の答え以外には存在しない。
そこに、正解、不正解はない。
常にこれでいいのか・・・もっといい方法はないのか。。。
と考えてなきゃ駄目なんよな^^
固定観念が恐ろしいことになるから。
今の庭師業界が抱えている問題もそこがあるからね^^
やまどりの樹の話に戻れば、樹を山採りすることを悪とすれば、畑で育てる樹に農薬ぶっかけて育てて、化学肥料で大きくしないと元気に育たんような土を作り出してる樹が善だと思うかな?
そうじゃないよね。
結局、結論はないんだよね。
だから俺らができることは、ヒトツヒトツを大事に、感謝しながら「モノヅクリ」していくこと、そしてそこで新たなモノ、感情を生み出すことしかできんのんよな。
頭の中で完結する議論じゃ駄目じゃと思う。
評論家になってしまう。
俺らはその世界じゃ生きたくない。
それぞれが、今思う何かをどう行動に移すのかをこの議論の中で導き出していくことが本当の意味よな^^
「eco」とか、「環境破壊」とか、いろんな「コトバ」はあるけど、そこで一番問題なのは、「環境負荷>生み出される何か」という構造になったとき、それは変えていかなきゃいけない。
人の「ego」はなくならない。
そこにお金が生まれる事も確か。
そのお金で営みが生まれる事も確か。
もしも、本当にそんな事例を何とかしたいと思うなら、考えなきゃならない事は、環境のことだけじゃない。
世の中の流れ、政治、経済、文化、未来・・・
とても広い視野でモノを見る必要があると俺は思うよ。。。
そうすれば、まず動く事しかできないんじゃないかな^^
じゃあ、何ができるのかな?^^
この話はゆっくり飲みながらしたいね^^
偉そう言ってごめんね。
まだまだ説明足らずじゃけど、
この議論、すばらしいと思ったよ。
なんか俺もうれしいわ^^
ワイワイ言いながらみんなで楽しんでいこうね^^
| niwatan | 2011/01/11 2:37 AM |
すごい!!!感動致しました!
その通りですね。
今回生物学的な詳しい意見を言えなかったところが、すごくくやしいですが、生物多様性の理論を支えている人たちは山の中のけもの道をかきわけ、植物の同定作業、しかも~種のレベルです。そこを生息する動物たちの糞や食べ後、巣穴など、通り道を生き物目線で膨大な資料情報をフィールドで探してきます。しかもそのことに、日の目が当たることはありません。体を張った仕事であります。これからは、学者先生なんて思わずに、いろいろな分野で手を組んでいい形にしていけるといいですね。
| サトウマコト | 2011/01/11 8:03 AM |
sakuraya575様
コメントいただいてありがとうございます。
必要にとりすぎないことが「エコ」
ほんとにそうだと思います。
きっとそこにいい関係あるんやと。
出雲は必ず最低でも年に一度はいく場所です!
築地松や民家の瓦・・・。
とても大好きな場所です。
櫻屋さんがきっとなんとかしてくれはると思います!!
| KoZo | 2011/01/11 6:53 PM |
壇上様
こんなに皆さんからコメントをいただけると思ってなくて
ほんとドキリの連続です。
自分がわかってないところが改めて認識できますが・・・。
また春にやまどりの現場で
ゆっくりこのことについてお話できたらなと思ってます。
ほんとおかげさまでここがいい意見交換の場になってることがうれしいです。
| KoZo | 2011/01/11 7:04 PM |
藤村様
訪問そしてコメントありがとうございます。
外国種や杉の人工林の問題はありますよね。
南アフリカの話はまったく知りませんでした。
是非また今度お会いしたときに教えてください!
宮脇昭先生の本はボクも何冊か読んだことがあります。
生態系や自生樹木などのことを考えると
庭でとなると、なかなか難しく
今、うまく答えがみつけられません。
ボクら庭師なりの
答えや考えを探さないと。
なんか「やわらかな」答えがみつかったらええなぁ
なんて思ってます。
| KoZo | 2011/01/11 7:21 PM |
サワグリの丸太がほしくてうら山には入る、穏やかな山だけどさかを登り高いところにたどりつき細い獣道程度の尾根道をしばらく行く
程良いところまで行くと崖を滑り降りる、かかとを立てて山の木につかまりながらザザザッと、
下までつくと谷の沢を歩き探し続けてやっと見つかる、
そして手頃な長さに切り肩に担ぐ、サワグリは思ったよりも右肩にズシリとくる、そしてもときた道を行く。
さっきの崖が見えてくる滑り落ちないよう、つま先を立てて必死に左手で山の木につかまりながらよじ登る。
それを何往復化する
なるべくならば冬が良い夏の山は怖い、おれはそれほど馴れてないから。
ましてや山の木を生きたまま連れてくるとなっちゃもっと気をつかう。
山は生きているんだ
樹齢二千年の杉の木が最後の時を迎える大きな台風によって。
長雨によって山がくずれる。
こんなことは当たり前なことだ
山はすぐにとりもどす
おれが問題だと言うことは
「人間が生き物であることを忘れかけ始めている」
のではないかと言うことです
おれはコメの作り方を知りません
これは日本人として大問題なんじゃないかと最近思うんです。
善ちゃんの言うとおり
流行やこの便利な世の中を止めることは出来ない
じゃあどうする
山取と採石山と高速道路の違いはどこだろうか
っと気軽にコメントさせてもらいました、なんだか尻切れだけど。
それにしてもすごいブログですね
| しおの | 2011/01/11 7:39 PM |
庭譚 善次郎様
ありがとうございます。
善次郎さんのリアルな意見が聞けて
本当にうれしく思います。
しかもこんなにわかりやす言葉で丁寧に。
すごく心に響きました。
善次郎さんの考え方や捉え方
そして物事に対する表現の仕方
同じ場で議論をさせてもらって
あらためてすごさがわかりました。
すべての基本にある「人の営み」
そして「生みだされる何かと環境負荷との関係」
「モノヅクリ」をしていくということ
・・・
自分にはいったい何が出来るか?
ボクも動きながら
ときには失敗や間違いもし
こうやってたくさんの人たちと議論をかわしながら
何かを掴み、導きだしていきたいと。
それはこの仕事を続けて行く間ずっとずっと
自分には何ができるのか?
って問い続けていくことやと。
やるからには妥協はしたくないです。
善次郎さんが今、みている みえている
「景色」がみれるように
ボクもがんばります。
もちろん楽しみながら。
「ニワプラス」の意味は
善次郎さんバージョンを
新たに加えさせていただきます(笑)
ほんとそうですね ボクらは
日々「プラス」に変えていけるように
悩んで挑戦していかねばなりません。
コメントありがとうございます。
励みになります。
近いうちに福山に行かせていただきます!!!
その時はまたよろしくお願いします。
| KoZo | 2011/01/11 7:59 PM |
サトウマコト様
今回はほんとにサトウさんの一言から
はじまったと思います。
すごいことになりました!
全国のたくさん庭師の方が書き込んでいただいてくれました。
いつもよりちょっとだけ前に進んでみることで
こんなに変化するんやってことを
ボクは身をもって昨年一年で学びました。
単純でシンプルやけどすごいことです。
わかっていただけたとは思いますが
ボクは難しいことはわかりません。
それでもよければまたいろいろ一緒に話ましょう!
おっしゃるように
いろんな分野で手を組んでいい形にしていくことが
大切やと思ってます。
| KoZo | 2011/01/11 8:18 PM |
しおのさん
ありがとうございます。
ボクのブログ、えらいことになってます・・・。
でも気軽にって深すぎます・・・。
「人間が生き物であることを忘れかけ始めている」
塩野さんの言われることには
いつもドキっとさせられることばかりです。
そしていつも学びたいと思うことばかりです。
話は少しかわりますが
ボクが最近会ったひとのなかで
一番生き物のニオイがする人間は
間違いなく塩野さんです。
もちろんいい意味でです!
ついさっき
このブログもみてくれた
宮城のよっちゃんからも
山はいきている そしてすぐにとりもどす
って同じような内容の話を教えてもらいました。
山どりと採石山と高速道路
塩野さんならどう考えるのか
塩野さんならどうされるのか
すごく教えてほしいです。
またお会いできるのが楽しみです!
| KoZo | 2011/01/11 8:34 PM |
カゼモニワ 多田です。
いい議論ですね。
遅ればせながら、、、。
おれは木に魅力を感じ作庭家になりました。
直感で。
人間には木が必要やそう思った。
だから庭をつくってる。
山取りは木を知る為には自分には必要やし、
山に入ればどう木が再生しているのか
そして山の異変もみえてくる。
まだまだ知らない事だらけやけど
感じれる。
エコなんていう言葉に惑わされてもしょうがない。
観て感じることが重要やと思う。
ガーデニングが流行ってたりするけど
ある意味ではいいことやと思う。
多くの人が知ることにより、
問題はあぶりだされてくるから、、、。
無関心では何も生まれない。
感心を持ってもらうことも
庭を作る人の役割の一つやと思ってる、、、。
こんなことを書いてると終わりそうもないので
また会って話しましょう!
今度は徹夜でもオッケイやでー。
| 多田 | 2011/01/11 9:14 PM |
カゼモニワ 多田さん
コメントありがとうございます。
多田さんの年明けすぐにの気合いのはいった
ブログにちょっと圧倒されてしまいました(汗)
やっぱり自分のカラダで感じることが大切ですね
ボクも山を知らなくてはなりません・・・。
そういう感覚、感性は作庭家としてもたくては。
おっしゃるように
関心をもってもらうことが大切ですよね。
ボクの仕事、勉強会そしてブログなどで発信することも
少しでもこれからの造園界の役にたったらなぁって。
そして少しでも興味をもってもらえる方が増えたらなぁって。
でかい話ですけど・・・。
そんなことも思います。
「直観で」というところが
すっごい多田さんっぽいです!!
徹夜は倒れてしまうかもですが(笑)
ちかいうちにゆっくりまた話してください!!
| KoZo | 2011/01/12 8:55 AM |
創都 清水です。
すっごい盛り上がってますね。
僕も色んな角度から庭と言う空間創りに携わりながら、今まで悶々としておりました。
見る角度や、切り口の位置によって解釈は様々だと思います。
答えは無いのですから。
営みの数だけ庭に求める物もあり、エゴもあります。
犠牲なくして新しい物を生むのは不可能だと思います。
かといって開き直るのではなく、そのために何をすべきかを考え続ける事が大切なのかなって思います。
「やりたい事」は皆それぞれなかなか譲れないものです。
でも「やるべき事」は皆で意見を出し合って考え、力を合わすことも出来ると思います。
「創る事」と「残す事」
「やりたい事」と「やるべき事」
バランスよくなんてカッコイイ事言えませんが、庭師の役割として考え続け動くべきかなって思います。
そしてその発信が人の関心を呼び、間接的でもにエコにつながる無数の動きを起こすのではないでしょうか。
前にお話してた座談会2月はじめ頃に企画してます。
庭師・園芸・樹木医・園芸療法士・華道・緑化メーカー・菜園事業色んな角度からの緑との関わりを聞けると思います。
| 創都 しみず | 2011/01/12 12:30 PM |
柔らかい解決案をみつけましたよ!
私の言い方では安易な山どり危惧になっておりますので、いくつかの中間案を。
基本的には今の山は、以前に比べると、自然回復能力といったものがどんどん落ちていると伺いました。なので、山どりの際の心配点としまして、山の土の根鉢にいろいろなその土地固有の生物、微生物がおられます。山野草なども。なので、それを何処に移動するのか?プラントハンターの例がこれです。そしていい樹形がないからといって、無理して人が入らないようなところに行くこともありません。獣たちがびっくりしています。山どりも、「地産地消」の概念を使う時かもしれません。
私はときどき、有効活用しきれない杉林を伐採し、落葉広葉樹を植樹するボランティアに参りますが、人が手を入れ放置された人工林なども見ておくと感じ方も変わるかと思います。薄暗い林床、単一な下草などなど。
私も大変勉強させていただきました。KOZO様、皆様ありがとうございました。
| サトウマコト | 2011/01/12 12:52 PM |
創都 清水さん
ほんとすっごいです!
「発信が関心を呼び
間接的にでもエコにつながる無数の動きを起こすのでは」
ほんとそうやと思います。
なんか庭師らしい発信
そして大阪らしい発信ができたらなぁ
なんて思いました!
座談会楽しみにしております!
いろんな業種の方々とお会いできるのは
とても刺激的でうれしいことです。
清水さんと一緒に
ボクも
考え続け動き続けます。
これからも大阪を関西を
盛り上げて行きましょう!
| KoZo | 2011/01/12 6:31 PM |
サトウマコト様
その解決案がどーなんか
正直、今のボクにはわからないのですが・・・
これを機に
いろんな知識・見聞をもった方達に話してみてください。
そして百聞は一見に如かず
動いて自分の目で確かめてください。
そしてついでに
全国にはたくさんの庭師がこんなに情熱をもって
日々を仕事しているということを
よかったら伝えてください!
春に山どりを見学に行くと思いますので
そのときにまたボクの感じたことを
ブログに書いてみたいと考えております。
こちらこそ勉強になりました。
ありがとうございました。
| KoZo | 2011/01/12 6:42 PM |
山どり・・・
ずいぶん悪者扱いされてるね(笑)
乱獲はしてません
山の木ならなんでも 売れるというわけでもないし
買い付けた山の1パーセントにも満たないんじゃないかな
いろんな山師がいるだろうからなんともいえないけど
自然の再生能力は すごいよ
何年もかけて降り積もった保湿力のある腐葉土に 種がこぼれ
芽を出し 自ら再生していく
2・3年すると 本当に木を掘った山なのか?というくらいに
どんぐりを拾い 連結ポットで芽を出し 掘り穴に植える山師もいるし 種を撒く山師もいる
なにより みんな山に感謝している
山小屋の壁には 「山のめぐみ」 「感謝の気持ち」と張り紙してある
山師は みんな山に生かされ 山を大事にしています
山から 木を掘ると緑が減る??なんてことはないはず
掘られた木は 遠く運ばれ全国の庭屋さんの手によって
街では 緑が増えてるはずなんじゃないの?
畑の木も 山の木も 同じ緑ですから
庭屋さんの手によって 枯らさないように 大事にしてあげてください
生態系の変化・・・
山で起きてる問題
今 消滅してきてる
なぜなら 山に人が入らないから
これは 意外に感じる人も多いはず・・
山は ただ放置すればいい それが自然
みんなそう思ってる
コナラがあって モミジがあって トネリコ エゴ 山桜・・・等
あるわけだけど コナラなんかが 何年もほったらかしだと
陰になって 成長の遅い木が 消滅していってしまう・・
日本は 何年か前までは 人と山は 共存していた
炭を焼いたり しいたけの穂だ木や 紙の材料パルプとして
人と共にあり 山は生活に欠かせないものだった
でも今じゃ 必要とされず 山は 荒れてきた
50年も経つ落葉高木は 芯から枯れてくる
そして苦しくなり70年後に倒木になり その頃には 種をこぼし
子孫は 増える・・というサイクルなんだけど
手付かずの山は 荒れ果て 再生できないんじゃないかという
クズなどのつる性植物が 手付かずの山では 蔓延り 新しい芽の 成長を妨げてる・・・
山師達がみんな心配しているところ
木が 枯れる前 30年サイクルで 木こり軍団が 木を伐り
新しい芽を出させて 何度も何度も山を再生させてきたわけです
それが手付かずだと 朽ちちゃう可能性が出てきたのは 木が必要
されず 木こりの数は 激減
必要とされる以上の木を再生させることが出来ない現状・・・
木を掘る掘らない以上の問題を山は 抱えてる・・
山堀りは 山の木を助けている
と俺は思う
賛否両論だとおもうけど 山師は みんなそう思ってると思うよ
山に生かされてんだからね!!
コウゾウ君 話し聞いたから 山学校行かなくていいやなんていわないようにね
春 楽しみにしてます!!
| よっちゃん | 2011/01/15 10:37 PM |
よっちゃんへ
忙しいのに心こもったコメント書いてくれてありがとう。
この前電話もらったときに
よっちゃんのパワーと情熱と知識を
あらためて感じさせてもらって
こんなすごい同級生がいるって
ほんとに頼もしくそしてすごくうれしかったわ!
すべてが
山小屋の張り紙にある
「山のめぐみ」「感謝の気持ち」に
あらわされていると。
すごく伝わってくるもんがありました。
ボクらはみたくないものを
都合よくみないようにしているし
そしてみたこともないものを
頭ごなしに簡単に非難することも
しちゃってると思う。
山どりが乱獲なのかという問題とは違う
まったく別の問題が
実際に山で起きているということ。
それはまったく反対の
木を伐らなくなったことで発生した問題。
その場にいって
見て・聞いて・リアルに感じないと
わからないことばかりです。
なんかええ教訓をいただきました。
すごく山師という
仕事に
そして山の再生能力やサイクルに
さらに興味を持ちました。
実際に山にいったらもっといろいろ
感じることがあるんやろなって。
そして今回のよっちゃんのコメントのような
声がいろんな人に届いたらと感じました!!
ボクも春楽しみにしてますので!!
| KoZo | 2011/01/17 6:39 PM |
九州を旅してた時に
道にたたずんでたおばあちゃんに会った。
ひげボウボウで真っ黒けでくっさい俺の目をまっすぐ見据え
おばあちゃんは
「まず山がおかしくなった」
と言った。
俺もたたずんだ。
「川がおかしっくなって、海がおかしくなった。」
「そんで人がおかしくなって死に始めた。」
「・・・うっ。」
「みんなが必死でうごいた。」
「山がもどった。」
「川がもどって、海がもどって、そんで人が治っていった。」
そこは水俣市やった。
四国の大歩危峠を旅していた。
音がない、
光がない、
閉ざされた山の中、
自分の存在だけを感じていた。
いきなり開けた場所にでた。
なんか動いている。
目の前から日が昇り始めた。
赤い光が広がりはじめたその場所で
おばあちゃんが畑を耕していた。
「・・・こんな山奥に」
茫然と見つめていた。
おばあちゃんは日の光のほうを向き
手ぬぐいを頭から取り
そして
ゆっくり頭を下げた。
うつくしい。
俺はそのあと
涙でかすんだ夢のような視界の中
こわさないよう
その場を離れた。
そこに人はいる。
そこにモノはある。
ひきこもりたい奴はひきこもって薬をもらおう。
前に出なきゃいけない奴らは前に出て歩こう。
そして引き裂かれるようにモノをつくり、己の血と肉をつくろう。
| m28e | 2011/01/20 9:16 AM |
m28e 古川さま
コメントわざわざありがとうございます。
新しい作品の
「 ヨリドコロ ≒ ス 」
HPでみせていただきましたが
すごく引き込まれました!
古川さんの
「 ヨリドコロ ≒ ス 」の
コンセプトにもありましたが
(コンセプトがどうのとかもありますが
すっごい単純に見た目もカッコいいと思いました。)
古来より山、大木、巨石は拠り所であり
今はその拠り所がなくなってきてるのではないか。
それと今回のコメントと合わせて読ませていただいて
なにかボクの中ですごくしっくりときました。
そして貴重な体験談ありがとうございます。
すごくその景色が浮かんできました。
また直接、話聞かせていただきたいです!
これから古川さんが
どんなふうに前にでて引っ張っていくのか。
どんなふうな歩き方をされるのか。
すごく興味があります。
ボクも内側が湧き出てくるような
引き裂かれるような
モノをつくれるように
もっともっと研ぎすましていきます。
これからもよろしくおねがいします。
| KoZo | 2011/01/20 6:15 PM |
↑
あつい。
いろんな人がいろんな熱を発してる。
いいな、こんなかたち。
※辰巳耕造君の許可を得て全文写させていただきました
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